人間に詳しい

いい作品だなと思う小説のパターンのひとつに、知った気になっていることの裏の可能性を巧みに描いているというのがあると思う。「万引きをする中学生はこういう感じ」「言葉遣いが荒い高齢男性にはこういう背景がありそう」といったこちらの予想や決めつけを裏切るようなもの。それが登場人物の自分語りで示されることもあれば、一つの現象を色んな人の視点で書いて読者の理解を途中で塗り替えるものもある。ミステリで意外な人が犯人だと分かる場合も、これに当たる。

小説を読むと、現実世界でも「あの人はあんな感じだけど、言葉通りではないかもな」と立ち止まれたり、「ああいうタイプだろう」と決めつけてしまわないでいられたりする力が育つかもしれない。そのために小説を読むという人もいるだろう。

僕が親しい人から言われる褒め言葉の中で嬉しさランキングの上位にあることばに「人間に詳しい」がある。人より人間の心の機微が分かる、なんて思い上がりでしかないけど、そういう風に見られることが嬉しい。もっと詳しくなりたいし、そのうえで人間の複雑さに頭を抱えたいと思う。